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平成の虚無僧一路の日記

「暴対法」で困るのは・・・ 

2013年11月15日 外部ブログ記事
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京都黒谷の「金戒光明寺」。幕末、京都守護職と
なった会津藩の本陣が置かれた寺であり、会津藩士の
墓地がある。長州を逐った「禁門の変」での戦死者は
官軍として葬られたが、慶応3年正月の「鳥羽伏見」
での戦死者は“賊軍”とされ、埋葬は許されなかった。
その“禁令”を犯して、戦死した会津藩士の遺体を
運び、ここに埋葬してくれたのは 会津藩お抱えの
博徒「会津の小鉄」だった。「会津小鉄」は、官軍の
包囲網を潜り抜けて、会津まで、戦死者の遺品を
届けている。

「金戒光明寺」には、その「会津小鉄」の墓がある。
台座から高さ3mほどもある大きくて立派な墓である。
京都会津会では、「会津小鉄」の義挙に感謝し、
毎年法要を行ってきた。

ところが、現在「会津小鉄」を名乗る指定暴力団が
ある。こちらは 昭和50年に「会津小鉄」の名跡を
復活させてできた新興暴力団。

それで「暴対法」によって「会津小鉄」の法要を
営むことはできなくなった。


さて、我が家の近くは、その筋の方が多い。
以前、近所の理髪店に行った時のこと。隣りの
椅子で散髪をしている人が、。散髪をしながら
ケータイ電話をかけている。なんと 中村の
「警察署長」にだ。
「ああ、わしだ。○○会の××だ。今ウチの
若いモンが、そちらで世話になってるが、
よろしく頼む」と。

警察とやくざは つるんでいると思った。

その後「暴対法」ができて、やくざに情報を
提供していた警察官が逮捕されたりして
事態は一変。

先日「暴対法」について警察OBの講演を
聴いた。「以前は、その筋の人と
お付き合いすることで、いろいろ情報が
得られた。しかし今は『暴対法』で、
やくざとの飲み食いは一切不可となった。
そのため情報がはいらなくなったから、
かえって“怖い”」と。

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