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平成の虚無僧一路の日記

「学徒出陣」 

2013年11月12日 外部ブログ記事
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毎日新聞 11/12 「現代史探検」第8回は『学徒出陣』。

昭和18年10月21日、明治神宮外苑競技場に2万5千人の
学生が集められ、降りしきる雨の中、学生服に銃を担いで
行進する、あの映像を観るたびに私は涙が出る。今、
このブログを書いているだけで涙が止まらない。

それまで学生は徴兵が猶予されていたが、東条英機は
劣勢な戦況下に 国民の士気を高めるために、この一大
イベントを行った。名古屋軍の名投手「石丸進一」君も
この「壮行会」に参加し、戦場に散った一人。

学徒動員で何人の学生が出征し、戦死したのか、正確な
数は判っていないという。

私の父は、昭和16年3月 慶応を卒業して、故郷、
会津若松の連隊に入隊、その年12月に中国に出征した。

義父(妻の父)は、昭和17年卒業だったが、半年繰り上げ
られて、昭和16年の9月に慶応を卒業し、海軍にはいった。

私の妹の夫の父は、昭和18年卒業予定だったが、17年
3月卒業。

というわけで「学徒出陣壮行会」時、三人とも大学を
卒業していた。

私の母は、日本女子大に在学中だったが、この壮行会には
行っていない。一期下の橋田寿賀子が、壮行会で
男子学生たちを見送っている。

慶応では 1998年になって三田キャンパスに「還らざる
学友の碑」を建て、学徒出陣の資料収集を始めた。
「送り出した大学として、どういう立場に立つべきなのか」
難しい問題だという。


◆学徒出陣を見送った一女性の声。

「昭和39年、東京オリンピック開会式で、カラフルな
ユニホームを着たアメリカ、イギリスの選手たちが
われわれにニコニコと手を振っている。 あの雨の
学徒出陣壮行会と同じ競技場で。これには大きな
衝撃を受けました」と。

当時慶応高校3年だった私もまったく同感だった。
死地に赴く学生たちが踏みしめていった聖なるグランドで
ある。戦争も国策なら、オリンピックも国策。国家の
この豹変振りに、不快感を感じたのは 私だけか。

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