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平成の虚無僧一路の日記

秋月梯次郎が虚無僧に!? 

2013年10月13日 外部ブログ記事
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『八重の桜』で 「北村有起哉」が演じた「秋月梯次郎」。
会津戦争の終結に一役かった。そして、猪苗代に謹慎中、
変装して密かに抜けだし、越後の水原にいた長州藩士
「奥平謙輔」に会って、寛容な処分を訴えた。

その時の心情を詠じたのが『北越潜行の詩』である。

 無輿兮帰無家   ゆくに輿なく 帰るに家なし
 國破孤城乱雀鴉  国破れて 孤城 雀烏(じゃくあ)乱る
  (以下略)

さて、会津に行き、飯盛山麓の「白虎隊記念館」で
とんでもない絵を見た。「秋月梯次郎が奥平を訪ねたときの
姿が“虚無僧の格好”に描かれていた。しかも白い着物に
赤の袈裟。ゲ箱まで提げている。昭和のスタイルだ。
目立ち過ぎ。

奥平を訪ねたとき「僧侶に変装して」という話はあるが
「虚無僧」の格好とは聞いたことがない。


しかし、会津にも虚無僧寺があったようである。

新撰組隊士「葛山武八郎」は、会津の出身で、新選組に入る
前は 虚無僧をしていたといわれる。

また、奥平謙輔や前原一誠ら会津びいきの旧長州藩士らが
起こした「士族の乱(萩の乱)」に、旧会津藩士らも呼応して
蜂起した「思案橋事件」。それに関与した「中根米七」は、
逃亡して

「虚無僧となって」会津に帰郷し、隠れ住んだという。

だが 明治4年、「普化宗」は廃宗となり、尺八を吹いて
門付けすることは、法律で禁止されたはずである。虚無僧姿で
尺八を吹いたら、それだけで警察に逮捕されたはずである。


 

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