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平成の虚無僧一路の日記

夏目漱石『こころ』に筝が 

2010年08月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



筝がどのように受け入れられていたかを知るのに面白い。

“先生”と呼ばれる主人公が、未亡人と娘二人住まいの家に
下宿する。そこのお嬢さんが筝を習っているのだ。

  「私は自分の居間で机の上に頬杖を突きながら、
  その琴の音を聞いていました。私にはその琴が
  上手なのか下手なのかよく解らないのです。
  けれども余り 込み入った手を弾かないところを
  見ると、上手なのじゃなかろうと 考えました。
    (−中略−)
  ぽつんぽつん糸を鳴らすだけで、一向肉声を
  聞かせないのです。唄わないのではありませんが、
  まるで内所話でもするように小さな声しか出さない
  のです」。

筝や三絃の世界は、昔も今もそう変わっていない。邦楽界では
一流と言われる人でもプロの音楽家ではない。一般の人が
聞けば、「なにこれ?」である。訴えるものが無いのだ。発声
からして訓練されていない。そして間延びした、眠くなる演奏。
音が立ってこないのだ。息継ぎ、間の流れも悪い。勢いも無い。

私は、古典地唄でも、緊張感をもって、間を捉え、一音一音の
音を引き立たせ、イキイキと歌ったら、十分、現代人の心を捉え
られると思っている。そんな演奏者は、私の知るところ一人しか
いない。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。


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