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2013年08月26日 外部ブログ記事
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三度目の韓国旅行

最初行った時、旧朝鮮総督府庁舎の裏の博物館(景福宮)印象深い印象でした
韓国人は、日本人が感じる以上に、朝鮮統一を願ってるのを、強く感じました
日本語を理解出来る一般人、多いのには驚きました(高齢者多いですが)
日本語ガイドは、過剰気味で、中国人・ロシア人のガイドは、不足気味です


韓国の国旗(引用)







景福宮

朝鮮総督府庁舎(引用)

アシアナ航空(サービスは良いです)

韓国の概要
韓国は、北朝鮮と分断国家であり、朝鮮民族国家としての統一を目指している
韓国人口の半数が、人口2千万人がソウル都市圏に集中しています
朝鮮半島は、1910年の朝鮮併合で、日本の統治下に置かれ、日本の敗戦で日本の統治は終了しました
日本敗戦後、朝鮮半島は、ソ連軍が進駐し、南半分は米軍の軍政下に入り、朝鮮人民共和国が建国した
南単独で総選挙を行い、李承晩を初代大統領とする韓国の樹立が宣言されました
朝鮮戦争で、全土が戦場となり、国土が荒廃し世界最貧国となりました
李承晩大統領の独裁に反対する軍部によるクーデターで、朴正煕、全斗煥、盧泰愚と軍部出身大統領
日本との間では、歴史問題・竹島占拠問題・慰安婦問題が提起されています
現在情報技術産業、自動車産業などを中心に世界で15番目の経済力を持つ国家です


景福宮概要
李成桂により1345年に大韓民国に置かれた朝鮮王朝の王宮です
大日本帝国に併合された後に、朝鮮総督府の庁舎が置かれ、敷地の一部に大統領官邸が置かれました
景福宮の中心部に、1867年に再建された勤政門や勤政殿などが現存し、建物の復元事業が行われています

景福宮の全景
李成桂が、王宮を建設し「景福宮」と命名され、1395年から李氏朝鮮の正宮として使用されました
1592年の文禄の役で、加藤清正の入城前に、朝鮮の民衆によって略奪と放火で消失しました
(英文のガイド案内では、日本人が壊したと記載されています)
その後は、離宮の昌徳宮が正殿に使用され、景福宮は約270年の間再建されませんでした

日本占領時代
韓国併合条約で、朝鮮総督府の庁舎の建設され、宮殿は正面から見えなくなくなりました
景福宮の朝鮮総督府庁舎建設は、独立後の韓国人にとって歴史的屈辱の象徴でした

景福宮は、現在でも復元中です
韓国独立後、景福宮内の旧朝鮮総督府庁舎は、博物館として利用されていました
景福宮復元計画は、光化門を正門、勤政殿を正殿とし、それを結ぶ線に対して左右対称に建物が配置されています
宮殿北側は、大韓民国大統領官邸として使用されています

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