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平成の虚無僧一路の日記

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2013年08月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



今日の日本の仏教は、8割方、釈迦仏教から離れてしまっている。
浄土経についても、お釈迦様が「私より阿弥陀仏を信じるがよい」
などというはずがない。釈迦の頃には「阿弥陀仏」は存在して
いなかった。後世の創作である。

天台、真言の密教系と山伏の修験道では 護摩を焚くが、
「お釈迦様が護摩を炊いた」などという話は聞いたことがない。

釈迦が否定したことを、なぜ日本の仏教寺院ではやって
「仏教でござい」と言うのか。まさに「嘘も方便」「嘘
虚仮(うそこけ)」である。

中日新聞の文化欄に、立川武蔵氏が連載している「ブッダを
たずねて」は、そうした仏教の変遷史が書かれていて面白い。

「護摩」は、古代イラン人の「ゾロアスター教」の儀式が、
インドのバラモン教に紛れこんだものとのこと。

「ゾロアスター教」といえば「拝火教」だ。バラモン教で、
供物を火にくべる儀式が、仏教では「煩悩を焼き尽くす」と
いう意味で取り入れられた。

虚無僧の発祥は、室町時代「高野山の真言密教」の流れの
「時宗」であり、「禅宗」へと宗旨替えしたのは「一休」の
影響と、私は考えている。

寺も経典も無い、釈迦の原始仏教に帰るのが虚無僧だ。

「お釈迦様は尺八なんぞ吹かなかったではないか」って?

そう、「一音(とん)成仏」とは、お釈迦様の一言発する
“声”の意味。虚無僧の吹く尺八の一音は、釈迦の声なの
じゃ。虚無僧とは、尺八の音(ね)で、人々の心の中の
仏性を呼び覚まそうとする「音声菩薩」の修行でござる。

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