メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

「徐福」伝説 

2010年08月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し




徐福は、秦の始皇帝に、「東方に不老不死の霊薬が
ある」と具申し、3,000人の童男童女と百工(多くの
技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し
「平原広沢」の地に辿りつき、そこの王となり、
戻らなかったという。

見方によっては、「徐福は、始皇帝に不死の薬を
探しに行く」と言って、莫大な資財と援助を得て、
海外に逃亡し、そこの国の王になった裏切り者で
ある。始皇帝を騙した男だ。始皇帝から東方行きを
命ぜられたほどの人物だから、名門の出で、相当
の権力者だったのであろう。始皇帝の暴政から
逃れる手段でもあったか。

しかし、現在の中国に「徐」姓が無いのは、一族
全員引き連れて渡航したか、あるいは、始皇帝の
命に背いたので、残っている者は「徐」姓を名乗れ
なくなったからだとも。

1982年、江蘇省にある徐阜という村が、かつては
「徐福村」と呼ばれており、「徐福」ゆかりの村
と話題になった。「徐州、徐州と人馬もなびく〜」
今や、日本からの観光客も多いそうだ。

紀元前に、中国から 3,000人もの人が日本に渡って
来、農耕や機織などの技術を伝えたというのは、
十分あり得る話だ。

徐福伝説は、東北から九州まで、日本の各地に
ある。そして、彼らは「秦(しん)」から来たから
「秦」さんと呼ばれ、機織(はたおり)を伝えた
から「秦=はた」さんと呼ばれるようになった。

私なりに納得。なんか普化宗の伝播に似ている
話だ。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。


]]>

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ