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平成の虚無僧一路の日記

会津藩家老 

2013年07月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



戊辰戦争当時、会津藩には13人もの家老がおりました。
平時は7人前後でしたが、戊辰戦争で「山川大蔵(24歳)」や
「佐川官兵衛(38)」他「諏訪(39)、一瀬(37)、原田(?)、
海老名(26)」が特別昇格です。


『八重の桜』では、西郷頼母(西田敏行)、田中土佐(佐藤B作)、
神保内蔵助(53歳)、梶原平馬(27歳)、山川大蔵(24歳)、
そして佐川官兵衛(中村獅童)、そして萱野権兵衛(柳沢慎吾)の
7人が登場してきますが、そのほかの6人の家老はどうして
いたのでしょうかね。


上田学大輔(未詳)、内藤介右衛門(30歳)、諏訪伊助(39歳)
一瀬要人(37歳)、 海老名郡治(26歳)、 原田対馬(8月就任)

「田中土佐」と「神保内蔵助」は 8月23日 自刃。

「一瀬要人」は、越後口の総督として長岡戦争の指揮をとるが、
敗北し「惰弱」との謗りを受ける。その後9月の一ノ堰の戦いで
負傷し、開城の翌日息を引き取った。家老でただ一人戦死。
妻は「西郷頼母」の妹。


「原田対馬」は年齢も判っていないほど、何をやっていたのか。
戦後、新政府より 「首謀者の首を差し出せ」と厳命があった時、
「原田対馬」は「拙者は、この先、新しい世が来ても、無力
短才でお役に立てないから、ぜひ私を」と名乗り出たのですが、
結局は「萱野権兵衛」に決まってしまい、死ぬこともできま
せんでした。

他にも1,000石以上の高禄取りが数名いたはずですが、
目立たぬ生き方も処世術の一つですか。

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