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平成の虚無僧一路の日記

家光の側室「お振の方」の出自はなんと 

2013年05月27日 外部ブログ記事
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3代将軍「徳川家光」の側室で「千代姫」を生んだ
「お振(ふり)の方」とは。
(尚「千代姫」は尾張藩主「徳川光友」の正室)。

なんと石田三成の曾孫(ひまご)だったとは、驚き。
「お振の方」は「春日の局」の養女として、大奥に上がり、
女嫌いだった家光の最初のお手付き(側室)となります。

「お振」の父は、当時の会津藩主「蒲生家」の家臣
「岡吉右衛門」。その「吉右衛門」の母(振の祖母)が
石田三成の娘でした。

「お振」の母は、同じく会津藩の家臣「町野幸和」と
「祖心尼」との娘「おたあ」。

「祖心尼」は「春日局」の義理の姪にあたり、局に
請われて大奥に入り、ナンバー2として大奥を掌握して
いました。

家光の生母は「織田と浅井」の血を引く「お江与」。
「春日の局」は「明智光秀」の従兄弟で重臣だった
「斉藤利三」の娘。「斉藤利三」は本能寺で織田信長を
襲った張本人。

秀忠の御台所(正室)「お江与」とは 怨敵の仲。そして
家光の側室となった「お振の方」は、関が原で滅ぼされた
「石田三成」の孫。もう、大奥は「怨念」の溜まり場
だったのだ。滅ぼした相手の血筋の者を迎えるのは
懐柔策の一手段だったのかも。


さて、「町野家」は蒲生氏郷の重臣でしたが、蒲生家が
断絶、お取り潰しとなり、浪人していたのを、家光の弟
「保科正之」が会津に入封してきて、召し抱えられます。

それには「お振の方」の縁もあったのかも。

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