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50年変わらない京の町 

2013年05月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



知っているようで知らない京都の町

京都で変わってない町、先斗町・木屋町を昼間散策
50年前と店は変わっていますが、町並み変わっていません


先斗町

先斗町床から見た鴨川
先斗町歴史
鴨川の州で、江戸時代初期に護岸工事で埋立てられ、造成されました
繁華街として賑わい、芸妓、娼妓が居住しました

先斗町の現状
石畳の狭い通りで、花街特有の商業形態です
東側の店は、鴨川に面し、納涼床を設ける飲食店が多いです

名称の由来
先斗という地名の語源はポルトガル語のponto(「先」の意)です

木屋町略歴
角倉了以によって、高瀬川は造成されました
江戸時代初期、材木問屋・倉庫や店舗が立ち並び、材木の由来から「木屋町」と呼ばれました
木屋町周辺には、地名として、材木町、紙屋町、鍋屋町、米屋町が有ります
通りを往来する旅人や、商人を目当てに、料理屋や旅籠、酒屋などが店を構えました
幕末には、勤皇志士が密会に利用し、坂本龍馬や桂小五郎らの潜居跡の碑が有ります
大村益次郎や本間精一郎、佐久間象山が、殉難しています


木屋町通りの廃校小学校(公民館として活用)
木屋町の現状
三条通から四条通を中心に、喫茶店、スナック、料亭などが並んでいます




角倉了以の碑



高瀬川
高瀬川は、
京都と伏見を結ぶ運河でした

高瀬川の歴史
1610年、方広寺大仏殿の再建で、角倉了以は鴨川を利用して資材運搬を行いました
1614年に、角倉父子によって、京都・伏見間に恒久的な運河がとして、高瀬川が造成されました
水深は浅く、川沿いを、舟曳き人夫が、高瀬舟を人力で曳いていました
江戸時代は、京都と伏見とを結ぶ主要な物流手段として、多くの舟が行きしていました


鴨川(京都の川)

京都の修学旅行生のメッカ(寺町通り)

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