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平成の虚無僧一路の日記

バタヤン 

2013年04月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「バタやん」こと「田端義夫」さんがなくなられた。
94歳。失礼ですが、「エッ!まだ生きてたの?」という
思いで、ビックリです。

当時「バタヤ」といえば「くず〜い、おはらい」の
屑屋のことでした。「屑かご背負ったギター弾き、
オ〜ス、はいバタヤンです」なんてギャグをとばして
ました。

大正8年(1919)生ですから、義父と同じ年。(義父は
20年も前に、70代で亡くなっています)。

三重県松阪生まれ。幼くして父親を亡くし、赤貧の
少年時代、栄養失調で片目を失明した。(それで
いつも右目を閉じて歌っていたのか)。

名古屋の薬屋やパン屋、鉄工所などで丁稚奉公。
仕事に疲れ、辛い夜、庄内川の「豊公橋」まで来て
歌を歌った。同じ歌を千回も歌ったと。

なんと「豊公橋」なら、私の家から西へ1kmほど。
そこで毎週土曜日朝「朝起会」メンバーが集って
発声練習をしている所です。バタヤンの声が聞こえて
きそう。彼が居たのは戦前、70年も前のこと。

バタヤンは 歌もギターも独学。“板切れ”をギター
変わりにして“イター。それを「“イター”と
言うんです」と、不遇時代を明るく笑い飛ばす。

終戦後の昭和21年(1946年)に出した「かえり船」は
引き揚げ船の中でも、舞鶴港でも流され、復員兵が
皆 涙を流して聞いたとか。歌はかくありたいものと。

バタヤンの訃報で、名古屋の「大須(お〜す)演芸場」が 
盛り返すかしらん?

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