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平成の虚無僧一路の日記

「ロバート・キャパ」の真実 

2013年04月26日 外部ブログ記事
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「崩れ落ちる兵士」と題した一枚の写真が「ライフ」に
掲載され、「アメリカ人のロバート・キャパ」の名が
一躍世界に知れ渡った。

「ロバート・キャパ」の本名は、ユダヤ系ハンガリー人
「エンドレ・フリードマン」。

まだ20代の無名の青年と、その3才年上の恋人「ゲルタ・
ボホイル」は、自分達を売り込むために、「アメリカ人の
ロバート・キャパ」というカメラマンを作りだした。
「フリードマン」は「ロバート・キャパ」を名乗り、
恋人の「ゲルタ・ボホイル」も「ゲルダ・タロー」という
名に改めた。

女性で「タロー」とは面白い。なんと「岡本太郎」に惚れて
その名前をとったとか。

1936年7月、スペイン内戦が始まると、二人は被写体を求めて
戦場へと赴いた。「崩れ落ちる兵士」が撮影されたのは
1936年の9月。『ライフ』に掲載されて、一躍有名人となるが、
キャパはこの写真について公式に語ることはほとんどなかった。
注釈や解説文もつけることはなかった。そのことから、この
写真が「銃弾に倒れた兵士」ではないのではないかという疑惑は
当初からささやかれていたという。

同じ瞬間を捉えた写真がもう一枚あることから、「フリードマン」と
「ゲルタ」の二人が同じ被写体に向けて、同時にシャーターを
切ったのではないか。あの写真は「ゲルタ」が撮ったのでは
という疑惑も生じた。だが これはあくまで推測。

しかし事実がどうであれ「崩れ落ちる兵士」が彼を「偉大な
キャパ」に変えてしまった。「秘密」を分かち合う恋人の
「タロー」は、その一年後、戦車に轢かれて死んでしまう。
26歳だった。キャパは「十字架」を背負って生きていくことと
なった。

キャパはまるで“自殺志願者のように”、銃弾に身をさらして、
淡々とシャッターを切った。まるで銃を撃つ兵士のように。

だが、彼の著作『ちょっとピンボケ』という題が示すように、
人と接する時は、陽気で人なつっこく、誰ともすぐ打ち解けた
という。

1954年、彼は40歳でインドシナ戦線で亡くなる。乗っていた
ジープが地雷に触れて吹き飛ばされたのだった。その直前、
彼はなんと日本に来ていた。日本各地で大歓迎を受け、
あちこちで写真を撮っていたのだった。

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