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小春日和♪ときどき信州

りんかい線と・・・ 

2013年03月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し





国際展示場駅・・・駅舎は、幌馬車をイメージして作られており、屋根全体が白い膜で覆われています。って、書いてあった。

上から見たことはなかったから、どらどらと・・・ほんと〜幌馬車みたい。 

東京ビッグサイトと ・・・の 最寄駅です。

東京マラソンでは ・・・の前を元気な人間が駆け抜けていきました。

右は有明コロシアム 



膵臓癌とわかってから6ヶ月、余命宣告7ヶ月・・・前日まで仕事をしていたが、ついに緩和病棟に入った。
主治医からは、いい思い出をたくさん持って、苦しまないで最期を・・・
だから、ほぼ毎日ホテルのような最上階のお部屋に通った。
私の息子達も休日に行って、看護師さんたちに、楽しそうねと言われるくらいの時間を過ごした。
友人、仕事仲間、家族、親戚など、お部屋に来て昼間一人で過ごす時間はそんなになかったね。



橋って不思議・・・みている場所が場所だからか・・・この橋不思議・・・渡るとどこに行くのだろう?

右から左に渡るのだろうか、左から右に渡るのだろうか。

たぶん・・・きっと・・・手前から向こうに渡るのだろう。

    

そんなある日・・・
見舞い帰りに駅で、なんだかわからないうちに・・・脱臼!&あやしい骨折!

えっ?何?何が起こったの?誰か私に何かした?

救急車に乗って某国立大学医学部付属病院 救命救急センターのお世話になっていた。

ここはどこだかわかりますか? 〇〇病院です。 お名前は? 〇〇です。 今日は何月何日ですか? 〇月〇日です。 私は誰だかわかりますか? すみません、初めてお目にかかったのでわかりません。 では、私の職業はわかりますか? はい、〇〇病院の先生です。

ハイ、痛いですけれどね。頑張ってください!・・・ヤダねーと思ったとたん3人がかりで引っ張った・・・ギャーギャー喚いて処置をしてベルトで固定していただき、この病院ではすぐに手術はできないからと、地元の大きな病院への紹介状をもらい、電車に乗って帰って来たのだが、その間 ER と叫んで私のところには看護師さんがお一人残って、皆さんばたばたとどこかに走って行ってしまった。
カーテンで仕切られているだけだから、運び込まれている人が何人かいるのはわかってはいるのだけれど・・・しばらくシーンとしていた。
腕の1本くらいで、ジタバタするでない、見苦しい。などと思いながら、私はいつまでこのままでいるでしょう?と、ジタバタしていた。

手がブッラーンとなって、目の前に自分の腕を持ってこられても、何ですか?コレ!どなたの腕でしょう?
神経の束を引っ張ったとかで、しばらくいろいろとやっていただいたようだけれど・・・動かない。
可哀想だけれど右手は使えなくなる可能性があります。ウソッ!ずっとブッラーン?

チェロもフルートも出来ない?そっかぁ〜しょうがないね・・・意外とあっさり、運命と受け止めた。

まっ!いいや!この年までそこそこ楽しめたから  それに弟だけが大変なんて不公平だから。
なかなか外に出られなくなるからその分で家政婦さん頼めばいいや!お買い物はイッテミヨーカドーネットスーパーで!・・・そんなことを思いながら、紹介状を持ってヘルパー時代利用者さんと一緒に通っていた大きな病院にやって来た。

担当になった先生は、レントゲンを見て1週間様子見てね。三角巾も使いましょうと、固定ベルトだけだったブッラ〜ンを吊って。
一週間後・・・あ、動くね。 でもこれ以上動かないです。 大丈夫、大丈夫!これだけ動けば戻るから・・・長い目で見ましょう。と・・・
 
マジッすか!?長い目上等!と、はすっぱになって大いに喜んだ。

諦めたのが嘘のように俄然張り切った。そりゃそう!動かないより動くほうがいいんだから・・・
救命の処置が良かったね、流石だ!と、先生はうなっていた。

救急車の中でなかなか受け入れ先が見つからず、なんだか聞いた事のない病院に行きそうだったけれど、ちょっと距離あるけれど〇〇がいいでしょう。〇〇OKです。行きますよ。ピーポーピーポーと走り出した。
体中の水分が脂汗となって出ている中で、やった!消防士さんありがとう。その病院の診察券持っています。と言いそうになって、今日は持っていないことに気がついて黙っていた。が、病院ではわかっていた。
そして保険証見る前に、40代女性と言って連絡してくださって・・・こんなときでも、なんかうれしかった。

家族に悪運が強いと言われた。生まれ変わったら消防士になろう!
弟の長女はお父さんに優しくしてくれている看護師さんを見ていて、将来、看護師さんになろうって・・・まだ中学生、いっぱい勉強して医者ってことも・・・余計な事は言わない。

そして・・・弟のお部屋が変わった。という事は・・・そういうことなのです。

先生のお話を聞くときに、ご家族皆さんですか? 
いえ、初めからずっと世話していた姉がここの帰りに怪我をして今日は来ていません。嫁と母と同席したもうひとりの弟に言われ・・・えーそんなー!そうでしたね。いつもご一緒でしたね。って、先生言ってたよ。・・・まぬけ姉

お見舞いにいらしてくださった方がドアを開けて目にするのは、正面にちんまりと座っている母の姿。
そんなところに座っているとみんな泣くから、そっちに座っていたら。なんて事を言うのはこの私。

親より先っていうのは残酷です。

壮絶というのを半世紀以上人間やってきて初めて目の当たりにした。筆舌に尽くし難いと言うのはこういうことなのだ。

同じ病気の方のずいぶん前のブログで、通院時人身事故で電車が動いていなかった。飛込みだとわかって・・・

「その前に自分に会っていたら、その命俺にくれって言ったのにな」 と書いてあった。

 東京が桜だらけになった頃、力尽きて一足早く散っちゃった 

誰か迎えに来ていたみたいね。いずれみんな逝くんだから、向こうで会おうっ!

通夜、告別式
素敵な仲間とお仕事していたのね。いい人ばかりだ!大勢来てくださったね。仕事楽しかったのね。


 いきなり「手動かなくなっちゃったよ〜」メール!を発信して驚かしちゃってごめんなさい。
「まさか、ばら撒いているんじゃないでしょうね?」メールで・・・深く反省。
動くようになったらすぐにとんで行きます。私だってお気に入りの自分のボーボー聞きたいさぁー!
こんなもん、屁でもない。と、いっぱしの口をきき、強がりを言ってみる。


日々の始まり・・・幸い、旦那様と息子達が妙に優しい・・・そっか!早いとこ普通に動いてくれないと大変不便ってことか!・・・わっかりました。ちばりよー

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