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平成の虚無僧一路の日記

宮本昌孝 『青嵐の馬』 

2010年07月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し




宮本昌孝 『青嵐の馬』

内容
 松平忠頼は、関が原の後、遠州浜松五万石を与えられ、
 同時に、徳川家康から、異父弟の保科久太郎を預かれと
 命ぜられた。
 保科久太郎は手のつけられぬ悪たれだった。

 松平忠頼が江戸で殺され、松平家は改易となると、久太郎は
 駿府へ向かい、家康に「お家再興」を願い出る。

 すると、久太郎は、「北条氏勝の養子になって、後北条家を
 継ぐように」と命ぜられる。なにゆえ?。
 久太郎には、出生の秘密があった。

 久太郎は、信州高遠の保科正直の四男で、忠頼と生母を同じく
 する13歳下の弟で、兄弟の生母の多劫(たけ)は、家康の
 異父妹だった…。


驚いた。小説だが、確かな出典はあるのだろうか。

保科 正直(1542年−1601年)の第一子が「正光」。
久太郎はその弟ということになる。
久太郎は、1595年の生まれ、北条氏重となって、
下総国岩富、下野国富田、遠江国久野、下総国関宿、
駿河国田中、そして最期は、遠江国掛川藩主と転籍。

5人の娘がおり、その一人は大岡忠高に嫁ぎ、大岡忠相
の生母となっている。しかし男子なく、氏重の後は断絶。

保科家の方は、兄正光のもとに、秀忠の落胤「正之」
が養子としてはいり、会津保科松平家の祖となる。

わが先祖は、会津保科松平家ができた時、紀州家から
会津松平家に移籍するのである。

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