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平成の虚無僧一路の日記

司馬遼太郎 『王城の護衛者』 

2013年02月26日 外部ブログ記事
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『八重の桜』の主人公は「山本八重」。このドラマの
脚本家は「山本むつみ」。同姓のよしみでしょうか、
熱い“思いいれ”を感じます。「むつみ」さんは
「ドラマはフィクションです」と言っておられるが、
どうしてどうして、史実に即して、いや、史料に
書かれていないような登場人物の感情まで、実に
リアルに描き出していることに感服します。

『八重の桜』は、司馬遼太郎の『王城の護衛者』に
準拠しているようです。『王城の護衛者』は、昭和40年頃
「文芸春秋」に掲載され、その後、文庫本で出版され、
2007年にも出ていますので、結構読まれているようです。

その最初に「文芸春秋」で読んだ時、(私はまだ高校生)
もう わな泣く思いで読み、ボロボロになるまで何度も
読んで、それを 後生大事に持っています。

それまで、正義の味方は「鞍馬天狗」で、新撰組も
会津も逆賊とされた史観に、司馬遼太郎が、初めて
「会津藩主松平容保は至誠の人であり、いかに
孝明天皇の信任を得ていたかを、明らかにして
くれたのでした。

当時、高校の「日本史」の教科書でも「会津は
東北の片田舎だから、世の中の動きに暗く、
旧幕府に忠誠をつくして、新政府に手向かい
処罰された」と書いてあって、私は、随分
悔しい思いをしたものでした。それが、教科書を
編纂する歴史学者の認識でもあったのです。

それを司馬遼太郎は「会津藩主は 徳川への
忠誠ではなく、孝明天皇への赤心」と書いて
くれたのです。徳川慶喜は、鳥羽伏見で、
会津藩士を置き去りにして 江戸に逃げ帰り、
あげくの果て、会津に一切の責任を押し付け
たのですから、会津藩としては、徳川慶喜には
裏切られた思いしかありませんでした。

それを司馬遼太郎は、容保の言葉として
「なんすれぞ大樹(将軍)、連枝(会津藩他)を
投げ捨つ」と書いてくれました。


松平容保の孫にあたる「秩父宮勢津子妃」もいたく
感動され、会津松平家の当主「松平保定」氏を通じて
お礼と感謝の意を述べられたのでした。

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