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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧が賎民にならなかったのは? 

2013年02月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



秀吉も家康も最下層の出身だった。その周辺には
「猿曳き」「連雀商人」「ささら者」「時宗の徒」と
いった“諸国往来自由”の職業集団がいました。

この二人が、戦国の世にのし上がっていった条件は、
彼等を通じて、土地の事情、民意に通じた情報を
得ていたことと言って過言ではないでしょう。

この二人は「賎民」の出身だったから、その過去を
封印するために「被差別部落」を作って隔離した
という説もあるようです。

「穢多、非人」について語るのはタブーだからか、
Wikipediaで「非人」については出てきません。

「非人」は、心中のしそこない等で、人間としての
権利を剥奪された者。「非人溜り」に集められ、
「車善七」の支配下にあって、死罪になった者の
処理などに従事していた。親戚縁者に金を出して
もらって「庶民」に戻ることもできた。

穢多は、仏教では「肉や血」を穢れとするので、
牛馬の屠殺、皮製品の製作に関わる人。

その他「雑種賎民」といわれる職種がたくさんあり、
意外なのは「猿引」、いわゆる「猿回し」。猿を
使って芸をする人ですが、「猿」というのは「密偵」
を意味することだったそうです。

「穢多」に次いで多いのが「茶筅」というのも意外。
「穢多の類」の8人に1人は「茶筅」とのこと。
「茶筅」に限らず、竹細工職人が「雑種賎民」とは
驚き。「虚無僧が、尺八を作るついでに、茶筅を
作って売っているのはけしからん」と、幕府から
咎められたことがありました。

竹に関係があるのが「ささら者」です。
「ささら」とは竹や細い板などを束ねて作った道具。
洗浄用の器具のほか、楽器や民族舞踊の際の道具と
して使われます。「こきりこ節」の「こきりこ」も
「ささら」の一種です。「ささら」を振って踊り
ながら「説教節」を歌うのが「放下僧」です。

これに似たのが「暮露(ぼろ)」で、大きな傘を持ち
その柄を叩きながら、「一字金輪仏」の真言「のうまく
さんまんだぼたなんボロン」と唱えていたので「ボロ」
と呼ばれました。これも虚無僧の前身かと思われます。

この他、座頭、神事舞、田楽法師、放下僧、猿楽師、
獅子舞、越後獅子、傀儡師、願人僧、俳優、浄瑠璃芝居、
陰陽師、壁塗、土鍋師、鋳物師、辻目睡、石切、土師師、
笠縫、渡し守、山守、青屋、坪立、筆結、墨師、関守、
傾城屋、釟扣、鏡内、梓巫女、遊女、白拍子、傀儡女、
飯盛女、観物師、舌耕、術者、弦売僧、高野聖、事触、
偽造師、狙公、堂免、俑具師、刑殺人、青楼、肝煎、
勧進比丘尼、犬神、神結、伯楽、盲目、放免、浄瑠璃語り、
妖曲歌、浮浪、行乞、乞食、伎丐、丐頭、難渋町、番太、
熅房。

これでは、「河原乞食」といわれた歌舞音曲の芸人から、
ごく一般の職人まで、多くが「賎民」の範疇にはいります。
その数2〜3百万人、といいますから、江戸時代の人口
約3千万の1割近くです。

さて、この中に「虚無僧」がはいっていないのが謎
なのです。虚無僧は、かつて「薦(こも)を敷く薦僧」
「お薦さん=乞食」、あるいは「ボロ」で、「放下僧」や
「願人坊主」また、琵琶法師の「座頭」と同類のはず
ですが、雑種賎民に含まれなかった。

それは、「元は侍(さらい)で、今は浪人、再仕官までの
仮の姿」という自己主張が、効いたためでしょうか。
中身は「乞食同然」で、一般には「同類」と見られて
いたはずですがね。

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