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平成の虚無僧一路の日記

柳ケ瀬ブルース 

2010年07月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



結構広い。名古屋の盛り場「錦3(きんさん)」よりも
はるかに広く、店の数も多い。だが寂れている。
半数近くの店がシャッターを閉めていた。ホスト
クラブの看板だけが、やたら目につく。

「雨の降る夜は 心もぬれる
 まして一人じゃ なお淋し
 憎い仕打ちと うらんでみても
 戻っちゃこない あの人は
 ああ 柳ヶ瀬の 夜に泣いている 」

昭和41年、空前のヒット曲となった美川憲一の
『柳ヶ瀬ブルース』。私はまだ 高校生だったが、
この歌にしびれ、「柳ケ瀬」ってどんな所だろう
と、東京から東海道線の夜行(普通)に乗って、
岐阜まで行った。

盛り場をうろつくのは怖く、通りの入り口から
覗いただけだった。なんか薄暗い、場末の盛り場
だったと記憶している。

それが、バブルの頃には、数百の店舗が軒を連ね、
大変な賑わいとなったようだ。名古屋からも遊びに
来たという。なぜ名古屋をしのぐほどの一大歓楽街
となり得たのか。「柳ケ瀬ブルース」の歌の力か。
それが、今では閑古鳥が鳴き、つわもの共が夢の跡。

美川憲一は柳ケ瀬の名誉理事長だそうだ。美川が
奇跡のカムバックをしたように、起死回生がなるか。

ところで「オネエキャラ・セレブキャラ」で再ブレイク
した憲一。「もっと端っこ歩きなさいよ」「おだまり」が
流行語となった。私は「一休語り」で「この橋(端)渡る
べからず、真ん中を歩め」と言っているが、自分の人生は
片寄った端っこばかり歩んできたか。さびれた柳ケ瀬も
哀愁を感じてまたいい。

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