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「こやんぴ」のぶらりお散歩ブログ
志木市と新座市の駅争い(東上線こぼれ話)
2013年02月03日
テーマ:川越周辺の鉄道、ないしょ話
東上鉄道の仮免許線は、旧川越街道の西側に接する形で北上するルートとなっていました(国立公文書館蔵、鉄道院文書の図面をご参照ください。)。
ところが、免許線は、旧川越街道と新河岸川の中間地点よりやや新河岸川寄りを北上する計画に変わっています(これが現在の東上線です。)。
このため、駅ができるものとばかり考えていた地域と、新たな駅予定地との間で、激しい誘致争いが展開されることになりました。
特に、大和田町(現新座市)と志木町(現志木市)との抗争は、激烈そのものでした。大和田町住民から鉄道院総裁あてに提出された「東上鐵道東京川越間確定線ニ関シ情願書」 が「鉄道院文書」内に現存していて、誘致合戦の凄まじさを今に伝えています。
情願書には、「志木には新河岸舟運があるからそれで十分だが、大和田には鉄道がないと困る」といった趣旨の、まさに「我田引鉄」そのものの激烈な文章が並んでいるのです。
寄付合戦も、白熱オークション張りで、大和田町側からも、志木町側からも、駅用地提供の申し出がなされていました。
最終的に、大和田町の主張は通ることなく、志木駅の設置で決着がつきました。志木市内には、勝利を祝した記念碑まで残っています。
一見、志木町の一人勝ちのようですが、実際は、駅舎橋上化以前の志木駅の出口が志木町にあっただけ。志木駅構内のほとんどは大和田町の行政区域内にあったんです。
東上鉄道は、実現しなかった先行の毛武鉄道が、川越街道沿いから新河岸川沿いにルートをドラスティックに転換し、多くの地域から猛反発を受けた先例に学び、川越街道、新河岸川の双方からほぼ等間隔の地を選び、中庸を心がけたのかもしれません。
また、両方向から荷や旅客が集まることも期待した面もあったでしょう。
後日談があります。
橋上化構想が持ち上がってからでしょうか、新座市が東武鉄道に対し、「駅のある場所の大半は新座市なのだから、志木駅を新座駅に改称してくれ。」と申し入れ、新聞も大きく取り上げる一騒動に発展したことがあります。志木市側が猛反発して、結局は、そのままになりましたが。
ちなみに、橋上化された後の志木駅の住所は、志木市ではありません。新座市東北二丁目38?1が所番地です。
JR武蔵野線に新座駅ができて、この騒動は終息した、のかな?
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