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平成の虚無僧一路の日記

108歳まで生きた?「天海大僧正」 

2013年01月31日 外部ブログ記事
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家康のブレーン「黒衣の宰相」として知られる「南公坊天海」。
その出自は不明で「明智光秀」ではないかとも噂される。
もし「光秀」ならば、116歳まで長生きしたことになる。

こんな逸話もある。
100歳の時、将軍・家光から柿を拝領した。天海は 柿を食べると、
種をていねいに懐紙に包んで懐に入れた。家光がどうするのかと
聞くと「持って帰って植えます」と答えた。「百歳になろうという
老人が無駄なことを」と家光が からかうと、「天下を治めようと
いう人がそのように性急ではいけません」と答えた。
「桃栗3年、柿8年」。8年後、天海から家光に柿が献上された。
家光がどこの柿かと聞くと「先年拝領しました柿の種が 実をつけました」と
答えたという。それで108歳まで生きていたことは確実らしい。
「きんさん・ぎんさん」バリの話だ。

諡号は「慈眼大師」。日光東照宮、家康神廟の隣の大黒山に
埋葬され、「慈眼堂」と名付けられている。

『東叡山開山慈眼大師縁起』に「陸奥国会津郡高田の郷にて給ひ。
蘆名修理太夫平盛高の一族」と記されている。

一昨年、虚無僧で会津高田を訪れた。今は「美里町」と町名が
変わっていた。一軒一軒門付けして廻っていると、突然の夕立。
丁度、図書館の前だったので、入り口の庇の下で雨宿りしていると
目の前に「天海僧正誕生地」の碑があった。案内板では「蘆名氏の
女婿 船木兵部少輔景光の息子で、その両親の墓が見つかった」と。

「気は長く、務めはかたく、色薄く、食細くして、心広かれ」

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