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雑感日記

カワサキ、赤タンクからライムグリーンへの物語 

2013年01月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 
★カワサキの創成期のファクトリーレース、当時最初に参入したレースはモトクロスそのカラ―は赤タンクのカワサキ』と言われていた。2サイクルのマシンを持たないホンダはモトクロスには参加していなかったのである。
そしてカワサキが初めて公式にGPに参戦した日本グランプリはFISCOで開催されたが、その時のカワサキのGPレーサーも、250のA1マシンもタンクの色は赤だったのである。
ロードレースに初めて参戦したのはその前年のことで、私はファクトリーのチームマネージャーをしていたのだが、鈴鹿でホンダのロードレーサーの赤タンクを見て、当時誰にも言わなかったが、『これはマズイナ』と秘かに思っていたのである。
翌年の日本GPには、ホンダはFISCOの第1コーナーが危険という理由で出場しなかったので、何となくホッとしたのを覚えている。
昭和41年(1966)年、私のレース担当最後の年だった。
その翌年からは、仙台に異動し東北6県の営業を担当することになり、赤タンクのこともアタマから抜け落ちてしまったのである。
 
その後何年かの後、アメリカでレースマシンに『ライムグリーン』が使われて、カワサキのレースカラ―もいつしかグリーンに変わっていって、私は内心よかったと思ったのだが、どんな経緯で誰がどのように決めたのかは、非常に関心があったのである。
いろんなレース関係者などにライムグリーンに変わった経緯など何度も聞いたことはあるのだが、確りとそれに応えてくれる人には出合わず、
昨年の9月までは誰に聞いてもよく解らなかったのである。
 
    
 
★昨年秋、Z140周年のアメリカでのイベントに誘われて出席することになったのだが、
その会合に来ていた斎藤定一さんにホントに久しぶりに会って、KMCで彼が40年も前に創ったというR&Dを見学したときに、
彼の口から『タンクをライムグリーン』に勝手に塗り替えたら、ひどく文句をくらったという話を聞いて、グリーンに変えたのは『斎藤だったのか』と初めて解ったのである。
(写真はその時の写真である。左はパーティで浜脇さんの奥様と、右はその前日KMCのR&Dでタンクの色におことを聞いたときの写真、Z1開発者の大槻幸雄さんとKMCの現役と、いずれも私が写した写真である。)
私は当時広告宣伝も担当していたので、ロゴとかコーポレートカラーなどには関心があったのだが、当時のカワサキはそんなことはお構いなく、どんどんやりたいものが勝手にどんどん決めるようなところがあって、元々の赤タンクも会社が決めたものではないし、ライムグリーンに変えたのも会社の決済などは全くなかったはずである。
 
斎藤君は私より3年ほど後輩だが、私が仙台に移り、彼が技術から企画に異動してアメリカに行く前、盛岡に来て営業の第1線を勉強に来た時にいろいろ一緒に行動したのだが、昨年の秋、それ以来一緒に行動したのは2度目みたいなものである。
彼は、R&Dも創ったし、日本の自動車工業会でアメリカに初めて工場を創ったのはカワサキだが、その直接担当だったのである。アメリカから戻ってからはすぐカワサキを退社してしまったので、あまりよく知らないので、どんどん初めてのことをやる積極的な無鉄砲ばかりの男かなと思っていたが、
昨年秋ご一緒して、そんなことはないのがよく解った。
私の斎藤さんの印象は、今は一変している。 やはり人はちゃんと会って話をしてみないと解らないものである。
 

 
★昨日、カワサキバイクマガジンの100号の記念号が私のところに送られてきた。
その中の特集記事に斎藤定一さんが出ているのである。
 

 
いろんな当時のアメリカ市場のことが書かれているが、
 

 
次のページには、『ライムグリ―ン』のことが語られている。
多分、カワサキの『ライムグリーン』がこんな形でちゃんと語られたのは、そして世の中に出たのはこれが初めてだと思う。
『赤からグリーンに』どのような経緯で変わったのか?
これには深い関心があって、いろんなレース関係者に聞いたりしたのだが、誰もはっきりとは知らなかったのである。
 
昨年秋、斎藤さんに再会して、ひょんなことでそれが解って、
そしてカワサキバイクマガジンの100号記念の記事で初めてそれを決めた人が語って活字になったのである。
これは私にとっては大したことなのである。長年ちゃんと『赤からグリーンに変わった理由』など、明確にしておかねば途ずっと思っていたのである
 
やりたい人が勝手に決める『創成期のカワサキ独特の決め方』だけど、
その発想の端緒が、『ホンダが赤だから、赤はまずい』と最初に私が思った通りの理由で『グリーン』が生まれたことに、
ベースに『世の中の常識』みたいなものが判断の基準になっていたことがよかったと正直思っている。
そんなことで、当時のレースを担当したひとりとして、自分のブログでも、ちゃんと語っておきたくて、このブログを書いている。
 
★そんな意味で、カワサキバイクマガジンに感謝である。
 
カワサキバイクマガジンの創刊の経緯なども書かれていた。
私は1996年の夏が二輪関係は最後だから、カワサキバイクマガジンの創刊は知らない。
それからでも100号、カワサキの歴史も延々と続いている。
 
グリーンということで言えば、赤いタンクが終わるころ、私と入れ替わってレースの世界に入った平井稔男さんなどは『切ったらグリーンの血が出る』 という。
今年は、そのTeam Green 設立30周年だと意気込んでいる。
 
『赤タンクのカワサキ』 ずっとずっと昔のことになってしまった。
山本隆や星野一義が初めて乗ったF21Mは、赤タンクだったのである。
彼らは明石の記念車館にもにも、カワサキワールドにも赤タンクのロードレーサーはあるのだが、
赤タンクのF21Mがないことを、いつも寂しがっているのである。
 
 
 
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