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平成の虚無僧一路の日記

会津にもある近藤勇の墓 

2013年01月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



会津若松市の東「天寧寺」の寺域に「近藤勇」の墓がある。
寺から300m も離れた山の中。昨年訪れた時は、道も整備され、
案内の標識も建てられ、容易にたどり着いた。

50年前、私が初めて訪れた時は、茫々と草木が茂る山の中を
さまよっていて偶然に見つけた。その時の記憶では、高さ
1mほど。「近藤勇之墓」と書いてあって、大発見に驚喜した
ものだった。墓の位置も現在の場所とは違った気がする。

現在は2mもある堂々とした立派な墓で、正面には「貫天院殿
純忠誠義大居士」という戒名が彫られている。「松平容保の書」
という。

「土方歳三が、勇の首を奪還して、会津まで運び、薩長に
攻められた時に、発見されないよう、このような山中に
埋めたのだ」とか言われる。

だが はて、流山で別れて、北関東での官軍との戦いを経て、
会津に入った土方に、近藤勇の首、あるいは遺髪にしても、
どうやって入手できたか疑問。

また、その時点で「薩長に攻められる」なんてことを予測
していたのだろうか。また、会津戦争のさなか、殿様 御自ら
揮毫して、墓を建てる余裕などあったのだろうか。

どうも、土方が建てたとしても、当初のものは、もっと素朴な
墓石であって、現在の墓石は、最近建てたものではないかと
私は勘ぐってしまう。たぶん、首も遺髪も埋まっていないで
しょう。(新撰組ファンにはがっかりさせて申し訳ない)

「近藤勇」の首は京都に送られ、三条河原に曝されたが、
その日のうちに何者かに持ち去られたとか。また遺体は、
「東本願寺法主が受け取り埋葬した」とされるが、こちらも
同志により奪還され、愛知県岡崎市の「法蔵寺」に葬られた
ともいわれ、同寺に「近藤の首塚」がある。

また、東京都三鷹市の「龍源寺」や、処刑場の近く、JR
「板橋駅前」にも永倉新八により建立された墓所がある。

さらに、山形県米沢市の「高国寺」にも近藤勇の従兄弟
「近藤金太郎」が 首をひそかに持ち帰り 埋葬したとされる
墓がある。

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