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平成の虚無僧一路の日記

「平城山」の詩は 

2013年01月27日 外部ブログ記事
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歌曲『平城山(ならやま)』は、尺八によく合う曲です。

1 人恋ふは悲しきものと
  平城山(ならやま)に
  もとほり来つつ
  たえ難(がた)かりき

2 古(いにし)へも夫(つま)に恋ひつつ
  越へしとふ
  平城山の路に
  涙おとしぬ

曲は「平井康三郎」。平城(奈良)のゆったりとした 穏やかな
イメージで演奏されることが多いのですが、一度、ジャズピアノ
と共演した時は、相手が烈しく弾きまくるので参りました。


ところが 詩が作られた経緯を知ってびっくり。
作詩は「北見志保子」という歌人。この『平城山』だけで有名に
なった人だそうです。

「北見志保子」は、明治18年(1885)高知県宿毛(すくも)に生まれた。
歌人「橋田東声」と結婚したが、自分より12歳年下の慶応の学生
「浜忠次郎」に惚れてしまった。「浜」の周囲の人が「浜」を
「志保子」から引き離そうと、彼をフランスに留学そさせる。
その時のやるせない思いに狂って、平城山の辺りをさすらい、
詠んだのがこの『平城山』。「志保子」は後に、橋田東声と離婚し、
「浜忠次郎」と再婚する。“高知女”の烈しく情熱的な詩
なのでした。


さて、慶応ボーイの「浜忠次郎」と聞いて、びっくり仰天。
なんと千代田生命の社長になった人です。「北見志保子」は
私が勤めた千代田生命の社長の奥さんだったと知って、
驚き桃の木。

そうと知ったら、ジャズピアノと共演で 烈しく熱っぽく演奏
したのも、あれで良かったのだと思いました。

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