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平成の虚無僧一路の日記

忍城の落ち武者が建てた青梅「鈴法寺」 

2012年11月08日 外部ブログ記事
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東京都の西はずれ青梅市に「鈴法寺跡」があります。

鈴法寺は、江戸時代、下総小金(現松戸市)の一月寺とともに
虚無僧本寺を名乗っていました。これに京都の「明暗寺」が対抗して、
本寺であることを主張するのですが、幕府は、江戸浅草にあった
鈴法寺と一月寺の出先機関を窓口にしていた。
尚、幕府からの文書には「虚無僧本寺」とあって「普化宗」と
いう表記は無いのです。

明暗寺や一月寺が寺といえるほどの敷地をもっていなかったのに比べ、
青梅鈴法寺は300坪余り、山門、本堂を有し、寺としての風格を
備えていました。

鈴法寺の成り立ちは はっきりしています。この辺一帯の豪農だった
吉野家の古文書に、「慶長18年(1613)、吉野家の先祖が、この辺
一帯を新田開墾し、井戸堀人足を探しに川越に行った折、忍城落城の
時討死にした同僚の秋山氏の倅に会い、彼のために、敷地内に
鈴法寺を建ててやった」と記録されているのです。

吉野家の江戸時代に建てられたという民家は、都の指定文化財として
保存されているそうです。

吉野氏と同僚の秋山氏は、北条方の「忍城」の家臣でした。慶長18年、
豊臣秀吉の小田原攻めで、忍城も攻められ、秋山氏は戦死し、吉野氏は、
新田開墾をし、豪農となって生き残ったのです。

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