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平成の虚無僧一路の日記

坂本龍馬を斬った男「今井信郎」 

2012年10月30日 外部ブログ記事
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さて、静岡市の持舟城、金谷(現・牧の原市)の「牧の原城」、
掛川城など、虚無僧で周りました。なつかしい思い出が
たくさんありますが、「牧の原」について、もうひとつ
書きたいことがあります。

それは、明治になって、徳川慶喜公とともに、多くの幕臣が
静岡に移住し、ここ牧の原台地の開墾をしました。「牧の原開拓団」
とも言われます。刀を鋤鍬に持ち替えての慣れぬ農作業ですから、
開墾は失敗に終わりますが、その苦労が、後に「東洋一の大茶園」に
発展します。

この金谷町の初代町長が「今井信郎」でした。近年になって
「坂本龍馬を斬った男」として、脚光を浴びてきた人物です。

「坂本龍馬の暗殺は新撰組の仕業」とされ、近藤勇はその罪状で
処刑されたのですが、明治も半ば過ぎて、今井信郎という人が、
「龍馬は、佐々木只三郎を隊長とする見回り組が殺った」と、
衝撃の証言をしたのです。「近藤勇」は、濡れ衣、冤罪でした。

佐々木只三郎は、会津藩士でしたが、幕府旗本の佐々木家に
養子に行ったので幕臣でした。私の先祖の一人「牧原文吾」も
会津藩を脱藩して「松井九郎」と改名し、幕臣となって
「見回組」に参加していました。ですから「龍馬暗殺」に
加わっていたのかも。じゃじゃじゃ〜ん。

「松井九郎」は、会津戦争では、尾瀬沼で官軍(と言っても
尾瀬の反対側「足利藩」から狩り出された兵)と戦っています。

幕臣ですが、元は会津藩士ですから、会津弁が通じるので、
隊長となって、会津藩兵との連絡に活躍したようです。

この尾瀬の周辺も虚無僧で旅をしてきました。合戦があった
などとは思えない、静かな静かな山奥です。

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