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平成の虚無僧一路の日記

牧覚右衛門の尺八 

2012年10月30日 外部ブログ記事
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さて、これも、私と関係ありそうな無さそうな話ですが、
「島原城に展示されている一節切尺八」の由来です。
長崎の尺八家「松林静風」氏が詳細をHPに書かれています。

この尺八は、「松平太郎左衛門重定が持舟城で入手したもの」との
由緒がはっきりしています。そして、重定の子(孫?)の「覚右衛門
重是」が「牧」と改姓して、慶安2年(1649)から3年間、藩主の命を
受けて、虚無僧となり、京都で托鉢をした時に吹いたものと伝えられ
ています。慶安2年(1649)といえば、京都の明暗寺が創建された前後の
ことです。幕末には、長崎には「牧 新七」という虚無僧がおりました。
「牧 覚右衛門」とのつながりもありそうな・・・・。私の名は「牧(原)伸一」
なんか 似ていてうれしくなります。

さて、「持舟城で入手したもの」というので、推測してみました。

天正10年、信長、家康連合軍による武田勝頼攻めが始まり、牧野原城を
根城にして、周辺の武田方の城、高天神城、持舟城(現・静岡市)が
攻められます。この時、「持舟城」を守っていた「朝比奈駿河守氏秀」は、
元々は今川の家臣でしたので、形勢不利と察して、家康方と和睦を結び、
城を明け渡して久能山に退きます。この時、朝比奈氏秀は久能山まで
護衛してくれた「松平太郎左衛門重定」に、お礼として家宝の「一節切」を
渡した。「一節切」はそれほどの価値があったのです。

この時代の有名武将「武田信玄」「徳川家康」「織田信長」「北条幻庵」の
「一節切」というのが現存しています。先日「お宝鑑定団」で、同様のもの
が出品され、300万円の価値が付けられていました。

宇和島の伊達家、尾張徳川家、熱田神宮にも同様の「一節切」があります。
そして私もネットオークションで、ウン万円で手にいれました。

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