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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

財前宣之の“変幻自財” 

2012年10月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



                      


前回スキャンしたものを貼ったら「著作権に触れますよ」と、友達からメールを頂いちゃったから、今日はキーボードを打ちますね 


昨日10月29日の夕刊の記事です 


私がまだ知らなかった(参戦してなかった)時のことですね 


初のJ1昇格 故障に屈せず決勝弾 



あの時ばかりは神様がご褒美をくれたんだと思いました。2001年11月18日、京都西京極総合運動公園陸上競技場兼球戯場。



0−0の後半44分、岩本輝雄選手の左クロスを山田隆裕選手が頭でつなぎ、最後は僕がシュートを決めた。



当時J2の仙台はJ1初昇格を懸け、既にJ1昇格と優勝を決めていた京都とアウェーで対戦し、僕のゴールで勝って昇格が決定。自分の人生で一番衝撃的な日でした。


仙台に移籍して3年目。決して順調な選手生活ではありませんでした。加入2ヵ月後の1999年9月、試合中に右膝十字靭帯(じんたい)断裂の大けがをしました。



プロ入り後に二度、左膝の靭帯を断裂していたため「なぜ神様はそんなに自分をいじめるのか」と悩みました。「普通だったらもう引退だ」とも思いました。



持ち前のプラス思考に加え、故障が続いた22歳の自分を見捨てずに復帰を待ってくれた周囲の暖かさを感じながら、約1年のリハビリに励みました。



完全復帰した01年は39試合に出場。「みんなを驚かせたいと気持ちの入った」シーズンでした。



入団当時、5000人程度しか埋まらなかった仙台スタジアム(現ユアテックスタジアム)。



昇格を争った01年は2万人近い観客が詰め掛けました。アウェーだった最終戦も大きな声援に支えられ、「みんなをJ1に連れて行こう」と力が入りました。決勝ゴールを決めた時、なぜ自分のところにボールが来たんだろうと今でも不思議に思います。 



「諦めなければ必ずいいことがある」。けがで苦しんだ僕が劇的ゴールを決めたことは単なる偶然ではなかったかも知れません。          (元仙台選手)



以上ですが土曜日だったでしょうか、ザイ君がブログを更新し「月曜日の夕刊見てね」って書かれていました 


決勝ゴールの写真が載ってました 


今季のベガルタも最後まで諦めないで・・ですね 


ジュビロ磐田戦に行かれていたのでしょうね。ベガサポのSさんから頂いたザイ君の写メです  o(^▽^)o

                  
 



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