メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

「早雲寺殿廿一箇条」 

2012年10月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



小田原後北条氏の祖「北条早雲(伊勢新九郎)」が定めたという
『早雲寺殿廿一箇条』も、江戸時代に書き写されたというもの
しか現存せず、「北条早雲」が定めたものかは疑問視されて
いるようです。

一、可信佛神事
二、朝早可起事
三、夕早可寝事
四、手水事
五、拝事
六、刀衣裳事
七、結髪事
八、出仕事
九、受上意時事
十、不可爲時事
十一、諸事可任人事
十四、不可申虚言事

・・・・・と続き、それぞれの項目について細々とした説明がついています。

十五の「可學歌道事」では「歌道なき人は無手に賤しき事也。学ぶべし。
    常の出言に慎み有るべし。一言にて人の胸中しらるる者也」。

十六の「乗馬事」は「奉公のすきには馬を乗ならふべし。下地を
    達者に乗ならひて用の手綱以下は稽古すべきなり」。

そして、十七の「可撰朋友事」には
「   よき友をもとめべきは手習学文の友也。悪友をのぞくべきは
    碁将棋笛尺八の友也。是はしらずとも恥にはならず。ただいたづらに
    光陰を送らむよりはと也、人の善悪みな友によるといふところ也。
    三人行時、かならず我が師あり、その善者を撰びて是にしたがふ、
    其よからざる者をば是をあらたむべし。

と、なんと「悪友に交わらないためには、碁や将棋、笛、尺八の友がよい。
知らずとも、恥にはならないが、ただ徒に、光陰をむさぶるよりは良い」と。


小田原を訪れた時宗の僧が、先々代のころは「お掟書き」もわずか六つ
だったが、こう細々、多くなると、北条家の命運もわずかだ」と言ったとか。
してみると、この条文は、「早雲」の末子で、北条五代にわたって目付け役を
はたした「北条幻庵」の作ではないかと思えてきます。「幻庵」は尺八も
作り、名器として都までその名が知られていました。ですから小田原の家中
では尺八を吹く者が多かったと推測されます。そして小田原北条氏の滅亡後、
その家臣の何人かが、虚無僧となったと思われるのです。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ