メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

会津藩祖「保科正之」九曜の紋 

2012年09月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



『天地明察』で、会津藩祖「保科正之」が、安井算哲を
庇護し、全国各地での北極星の観測を命じる。
「保科正之」は徳川3代将軍「家光」の弟で、故あって
信州高遠の「保科家」に預けられ、その跡を継いだ。

家光の代になって、会津藩祖となり、さらに4代将軍
家綱の後見となって、幕藩体制を確立した名君とされる。
後の「大老」職並みの存在だった。明暦の大火で焼失した
江戸城の天守閣再建にあたって「天守閣の再建は無用」と
決断したことで知られる。

その保科正之が「安井算哲」の星の観測に関心を示し、
映画では、士分でない算哲に「九曜の紋」の入った
大小(刀)を授ける。

「保科」家の先祖は、『平家物語』には「星名党」と
して記されている。

治承四年(1180)、平家打倒に立ち上がった木曽義仲が
越後の城助職と横田河原で戦ったとき、「星名党」が
三百余騎を率いて義仲に味方し、平家軍を敗走させた。

「保科」家の紋は、福島の「相馬」氏と同じく、○が
縦横三つずつ 九つ並んだ「九曜紋」である。「九曜の紋」の
謂れについては「北極星、北斗七星、輔星の九星」で
あると言う。「保科正之」が北極星の探索に関心を寄せたのも、
姓の由来と関連があったのではと、私には思える。
『天地明察』ではそこまでは書かれていなかったようだが。

また、会津地方で一番多い姓は「星」。これも偶然だが、
因縁めいたものを感じる。

また、会津藩の藩校「日新館」には「天文台」があった。
私は、子供の頃、その石垣に上って遊んだことがあり、
天文台など どこにでも有るものと思っていたが、当時
日本では、会津と江戸と薩摩の三箇所しか無かったとの
こと。

それにしても「安井算哲」を小説の題材にすえた 沖方
(うぶかた)丁。すごい! やられた。悔しいでござる。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ