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平成の虚無僧一路の日記

日本も原爆開発に取り組んでいた 

2012年09月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



中日新聞 9/25 特集記事『日米同盟と原発』に
こんな記事があった。

日本でも「原爆の開発」は進められていて、核分裂の
実験装置では当時 世界最高水準のサイクロトンが
東京の「理化学研究所」と京大、阪大の3ヶ所に
4台あった。しかし戦後、マッカーサーの指令で、
すべてことごとく破壊された。東京の2台は、東京湾に
沈められた。

終戦の翌年、昭和46年の10月、アメリカの新聞に
こんな記事が載り、米軍関係者を驚かせた。

「終戦3日前の8月12日、日本は朝鮮半島で核実験に
成功していた。その後、南進してきたソ連兵が、
日本人科学者6人を拘束し連行。彼らはソ連の
原爆開発に携わっている」と。

これは誤報だったようだが、アメリカがソ連の原爆
開発に神経を尖らせていた時期の疑心暗鬼だった。

日本の高い能力をアメリカも認識していたのだ。
そういえば、湯川英樹は、師の仁科教授の「核融合」の
理論をこっそりアメリカに売り渡し、アメリカの
原爆開発を手助けした。その功績で、戦後いち早く、
日本人初のノーベル賞に輝いたとか、ネット上に
ありましたっけ。こういうネタは新聞では書けない。
ネット内だけの情報か。

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