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平成の虚無僧一路の日記

ラフカディオ・ハーンの妻「節子」の日本語って“変” 

2012年09月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は日本語が上手ではなかった。
彼の残した『怪談』は、日本語としてはとても変だ。妻の節子
が話すことを英語にして出版されたもので、我々が目にする
のは、後に翻訳されたものとのこと。

たとえば、『耳なし芳一』の一節。 

『芳一さん! 芳一さん! すぐ私達と一緒に家にお帰んなさい!』
叱るように芳一は男達に向って云った。
『この高貴の方方の前で、そんな風に私の邪魔をするとは 容赦はならんぞ』
事柄の無気味なに拘らず、これには下男達も笑わずにはいられなかった。
芳一が何かに魅ばかされていたのは確かなので、一同は芳一を捕つかまえ、
その身体からだをもち上げて起たせ、力まかせに急いで寺へつれ帰った。
そこで住職の命令で、芳一は濡れた著物を脱ぎ、新しい著物を著せられ、
食べものや、飲みものを与えられた。その上で住職は芳一のこの驚くべき
行為をぜひ十分に説き明かす事を迫った。

英語の直訳のような文章が時々出てくる。ハワイ大学で学生たちが
「耳なし芳一」を演ずるのを見たが、日本人の感覚では、おどろ
おどろしく怖い場面で、寺男たちが芳一を嘲笑するのだ。
「ワッハハハ」と笑うのには、さすがハワイと思ったが、原作には
たしかに「笑わずにはいられなかった」とある。


中日新聞に、梯(かけはし) 久美子の「続・百年の手紙」で
小泉八雲の妻「節子」の手紙というのが掲載されていた。
焼津で静養中のハーンに東京の自宅からセツが送った手紙の一部、

「シンセツノパパサマ、セカイ、イチバンノ、パパサマ、
アナタノカラダ、ダイジョウブ、デスカ、スコシ、モ、ビョウキ、
アリマセヌカ……、イマ、アサガオ、キレイノ、ハナ、タクサン、
アリマス……」

セツ(節子)は松江藩の士族の娘だったが、明治維新で没落し、
生活は窮状していて、小学校にも通えなかったとか。ハーン
には身の回りの世話をする下女として雇われたとも。

来日した中国人やフィリピン人が話す片言の日本語のようだ。
これではラフカディオ・ハーンの日本語も上達はできなかったか。

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