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平成の虚無僧一路の日記

二律背反の課題を解決 

2012年08月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



建築家「村野藤吾」のすごさは、不可能を可能にしてしまう
“神の手”にあります。「千代田生命」ビルの建設にあたって
相反する命題がいくつかありました。

? まず、千代田生命としては、「近代的な高層ビル」を
望んでいましたが、ここは住宅専用区域で「高層ビルは
建てられませんでした。そこで「村野先生」が考えたのは、
高低差のある敷地ということで、坂の上の方に正面玄関を
もっていき、そこから上に地上4階。そして坂の下を地下
として2フロアーを設け、6階建てとしたのです。

それだけでなく、同じ外観で屋上に3フロァーを「塔屋」
として乗せました。それで、9階建てに見えるのですが、
上の3フロアーは、なんと、エレベーターの機械室や
貯水タンクが置かれた塔屋、下の2フロアーは地階なのです。

?次なる課題は「オフィスビルなので、窓を広くとり
陽光を多く取り入れたい。しかし、近隣の住宅街に
そぐわない“ガラスの壁”は作りりたくない」という
ものでした。当時、「丹下健三」が有楽町の旧都庁ビルを
てがけ、鉄骨とガラスだけの外観で「これぞ近代建築」
と絶賛されていました。村野藤吾は「ガラス張りの
外観は、光を跳ね返し、また地震などでガラスが崩落
する危険がある」と反対でした。

そこで千代田生命ビルは、外観は鉄とガラスなのですが、
全フロアーにバルコニーを巡らし、その外を3600本もの
柱で覆い隠すことにしたのです。

しかし、この柱(ルーバー)をコンクリートで造った
のでは、やがて亀裂が生じ醜くなる。「村野先生」は
「これをアルミの鋳物で造ったらどうか」と考えました。

ところが、当時の「アルミ業界」は「とんでもない
無理 無理」と二の足を踏みました。そこで引き受けた
のが「久保田鉄鋼」でした。アルミの本職でない業界
だからこそ、自由な発想でこの大事業を成し遂げたのです。

全館をアルミのルーバーで覆うという初めての経験
ですから、厚さは何mmにすれば、全館の総重量は
いくらになるか、耐久度はどのくらいもつのか、
すべて未経験でした。また、アルミでは常識的には
キラキラ金属面が光り輝くものですが、それを
「村野先生」は、鋳型に砂を敷いて、表面をザラザラ
にしたのです。また特殊加工で「利休鼠(ネズミ)」の
色に仕上げました。

さて、アルミのパーツですから、そのままでは
薄っぺらい金属板で覆われた、中が空洞の柱です。
人間の目というのは、中が空洞か(張りぼてか)
芯があるか判るものです。そこで「村野先生」は
その中に「砂を入れよ」と指示しました。

当時、砂は海岸から採掘され塩分を含んでいましたから、
担当者は「塩分でアルミや鉄の部分が腐食する」と
反対したのですが、「村野先生」は「それなら、砂を
煮沸して塩分を取ればいい」と命じました。

とにかく、一般常識で施工担当者が「反対」すると、
「村野先生」は全部、それをクリアーさせる天才的な
人でした。驚くような話は まだまだたくさんあります。
「高層ビルのようにも、低層ビルのようにも見える」
「地下3階に、巨大なボイラーをどうやって入れたか」
「トイレのドアは なぜ45度の半開状態で止まるか」
など、「千代田ビルの7不思議」。その謎解きは実に
面白いものです。

なんでも細く繊細好みの先生ですから、「喫茶室の
軒ひさしの厚さを15cm」と指定します。施工者は
「それでは、天上を支えきれない」と反対します。
すると先生は「君は何のために給料もらってるのか、
頭を使え」と叱ったといいます。仕事とはそういう
ものだと私も感じ入ったものでした。

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