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平成の虚無僧一路の日記

熱田神宮にて 

2012年07月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



今日は、熱田神宮内のホールで「ヴォックス吟詠
コンクール・中部地区大会」があり、出場し、
9位で「全国大会」への出場権を得て参りました。

「60代の部」60人中の9位とはザンネン。上には
上が居るものです。

自分の出番が終わったら暇でしたので「宝物館」を
覗いてみました。なんと『一節切(ひとよぎり)』尺八が
展示されていました。( またしても 呼ばれたか!?)

長さ1尺1寸5分(34cm)は「一節切」の標準ですが、
幅2.2cm は、若干太い感じです。藤巻きに似せて
黒漆が6ヶ所塗られています。

これは「武田信玄の一節切尺八」として、穴山梅雪の
ご典医の末裔に伝わる一節切と極似しています。

木箱に文字が書かれており、学芸員の方に「控え」を
見せてもらいました。

「永禄11年(1568)。伊勢の住人・八島又太郎光定
が奉納 」とあり、年代がはっきりしている貴重な
ものです。

「桶狭間の戦い」が永禄3年。その後7年。織田信長は、
永禄10年、斎藤龍興を伊勢長島に敗走させ、尾張・美濃
2ヶ国を領する大名になっていました。そして永禄11年は、
信長が上洛を果たした年です。ときに信長34歳。

箱書きには、次の文もありました。

「( 尺八 ) 併(なら)びに、唐之幼子が持遊ぶ立烏法師の
小石一ツ納め申す」と。「立鳥法師」とは「立烏帽子
(たちえぼし)」。白拍子が頭に被っているような「えぼし」の
形のことでしょう。「唐の子供が持って遊ぶ“立ちえぼしの
小石”とは、どんなものだったのか、小石の方は伝存して
いないようです。

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