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雑感日記

パウダーパフレーシング 腰山峰子監督 

2012年07月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 
 ★パウダーパフレーシング、SUZUKA 4耐に出走する。
こんなカッコいいホームページもあるし、
是非、クリックしてみてください  カッコいい動画も現れます。
Facebook も
ツイッターも
右上に緑のマークがあるものは、私がリツイートした記しです。
 
だいぶ先の話だと思っていたがもう目の前になってきた。
昔は毎年暑い夏を、熱い鈴鹿で過ごしたものである。
今年は鈴鹿サーキット50周年だという。
 
以下はパウダーパフレーシングのホームページからである。
 


Home > パウダーパフ・レーシングとは KAKO 1978-

 

パウダーパフ・レーシングとは KAKO 1978-

 
 
かつて、女性レーサーのパイオニアともいうべき人がいた。
彼女の名は、堀ひろ子。
 
一流商社をすっぱりとやめ、大型バイクで世界一周
25カ国4万kmの旅にでたのは、26才のときだった。
 
1976年、それまで男性に限るとされたロードレースの参加規程が彼女の活躍で見直され、
女性初の参戦を実現させた。
 
彼女はレースに没頭するかたわら、雑誌の評論、
ショップ経営などにもフィールドを拡げ
1978年には日本で初めて、女性ライダーだけのロードレース
「パウダーパフ・レース」を鈴鹿サーキットで主催した。
 

 
「パウダーパフ・レース」でデビューの後、
堀ひろ子とコンビを組み活動することになったのが、腰山(旧姓今里)峰子である。
 
1980〜81年、堀と腰山は鈴鹿4時間耐久レースにペアでエントリーし、2年目にして完走を果たした。
1982年には、男性でも完走が難しいとされるサハラ砂漠縦断8000kmを、同じくペアで走破した。
 
ふたりは単に、女性レーサーの市民権を獲得しただけではなく、
女性ならではのバイク文化の構築にも道筋をつけたといえよう。
 
そしていま、その志を継承すべく、腰山峰子が新たにチーム監督となって
「パウダーパフ・レーシング」を結成した。
 
ライダーの川原みちよ&中原優香は、奇しくもパウダーパフ・レースが産声をあげた年と同じ1978年生まれ。
 



Home > パウダーパフ・レーシングとは KAKO 1978

 
 
 ★ 先日 壮行会にも出席させていただいた。
その記事は、二輪車新聞にも流れた。
 

 
★腰山峰子さん
今でも現役で走っているらしいがそんな姿は見たことがない。
カワサキの想い出とそして未来でも
 
笑って遊ぼうミキランドでも
 
お世話になった。
 
たまたま写っているのは神戸木の実の
金谷秀夫  と  片山敬済  
神戸スーパースポーツには関係があったのかなかったのか。
平井稔男さんは、いつも『ミネコ、ミネコ』と呼び捨てである。
何となく飄々としているところがいい。
 
こうして、何となく応援したくなるのは、
またいつの日か、何かで『お世話になることがあるだろう』と思っているからである。
自然に、そうしたくなる、『いい雰囲気』をお持ちである。
 
記録よりも『記憶に残るレースを』と言われていた。
是非、そんなレースを演出して欲しいものである。
 
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