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平成の虚無僧一路の日記

『今なお屍とともに生きる』 

2012年05月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



中日新聞に 連載されていた「捨石の島−陸軍石部隊と
島人(しまんちゅ)の沖縄戦」を読みながら、私は、
以前にNさんからいただいた小冊子『今なお屍とともに
生きる』を思いだしていました。

沖縄戦で重傷を負い、ガマ(洞窟)に取り残されて3カ月、
地下水を飲んで生き延び、奇跡的に助かった「日比野勝広」
さんのことを、4人の娘さんたちが自費出版したものです。
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日比野さんは右腕をやられ、破傷風に罹った。「破傷風は
99%死ぬのだから治療するのは無駄。食料も与える
必要なし」と、軍からも野戦病院からも見放され、多くの
重傷患者とともにガマに取り残された。

灯りも無い 真っ暗な闇、次々死んでいく仲間の死臭と
垂れ流しの汚物の中、深夜 聞こえるものは 傷口に
群がるウジ虫が蠢(うごめ)く音。まさに阿鼻叫喚の
地獄。

まもなくして、一人の兵隊が 民間人とともに食料を
持って逃げこんできた。しかし、その兵隊に「ひと粒の
米もやれん」と云われたことで、「人の助けをあてに
してたら 恨みだけが残る。自分のことは自分で」と
“生”への執念を燃やす。

すると 不思議と 破傷風も治り、夜には 空気穴から
這い出して、水を汲んだり、野草などを採って、
動けない仲間に食べさせたりした。その友も次々
死んでいった。

5月15日から3ヵ月、その間も、空気穴から
爆弾を投げ込まれて 仲間が吹き飛ばされたり、
出入口を完全封鎖される。それでも日比野さんは
生きつづけ、助け出されたのは、戦争も終わった
9月。

日比野さんは分隊長だった。多くの部下を死なせ、
自分ひとりが生き残ったという悔悟の念で、戦後、
部下や同僚の遺族を訪ね歩いた。その時浴びせ
かけられた言葉は「あなただけどうして生き残った
のか。どこに隠れていたのか」との謗(そし)りだった。

そして、日比野さんは戦後何度も沖縄に行き、戦跡と
「糸数」のアブチラマガマを巡り、供養を行ってきた。

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中日新聞の連載で 「日比野勝廣」さんのことも
とりあげてほしいと願っていましたら、5月23日に
「体験者・読者の声」として大きく取り上げられました。
「日比野勝廣」さんは、この『今なお・・・』を出版されて
まもなく 亡くなられたそうで、五女の「たづ子さん」が
取材に応えたカタチの記事でした。ご冥福をお祈りします。

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