防災シリーズvol.2「食」を通じた防災意識の向上に取り組む
掲載日:2022年03月09日

防災シリーズvol.2「食」を通じた防災意識の向上に取り組む

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こんにちは!ナビトモ事務局です。
まもなく3月11日。11年前のこの日「東日本大震災」が発生しました。毎年この時期になると、防災意識を高めますが、何をしたらいいのか、わからないという方もいらっしゃるのではないでしょうか?
そこで今回のこちらナビトモ情報局では、<尾西食品の防災コラム2021.5.19>より「食」を通じた防災意識の向上をテーマにしたコラムをご紹介します。

地震、津波、そして原発事故・・・東日本大震災の経験をもとに

福島県南相馬市は、東日本大震災で地震、津波、原発の事故により大きな被害を受け、市内の大半が避難指示と屋内退避の区域になるなど、非常に困難を極めた場所です。
現地で震災前から「食」のエキスパートとして市民の防災意識の向上に取り組む、大戸貴弘氏にお話を伺いました。

――大戸様は震災前から防災活動に取り組まれていたそうですね。
大戸貴弘氏(以下 大戸):以前から備蓄や防災食に興味があり、防災に関する講演活動などをしていました。
安全で安心な県作りの活動の一環として開かれた“南相馬市の防災を考える会”にもメンバーとして参加し、2010年4月より話し合いを重ね、災害時の避難所運営マニュアルなどを取りまとめて震災1ヶ月前の2011年2月に提言を南相馬市に提出しました。
提案内容は避難所をどう運営するかなどが中心で、食事についての言及は少なかったです。
2010年の地元新聞社の調査でも、非常食の備蓄がないという県内自治体が多数で、地元商店などと協定を結び確保すると計画されていて、地元商店も被災した場合にどうするかまでは想定されていなかったようです。
地震、津波、そして原発事故・・・東日本大震災の経験をもとに

転々とする避難生活、改めて「食」の大切さを実感

――震災時はどのような状況だったのでしょうか。
大戸:東日本大震災の当日は仕事で会津美里町にいました。
すぐに水などの物資を購入して自宅のあった南相馬市小高区に夜に戻り、避難所で家族と落ち合いました。
海岸沿いに住んでいた親族を亡くしたことは後で知りました。
翌12日、隣町にあった勤務先に行こうとしたら既に立ち入りが出来なかったために、家の片付けで自宅に戻りました。
幸いガスと電気は使えたのでカレーを作り、津波から命からがら逃げてきた親族も含め15-16名で温かい夕食を取り寝ようとしたときに防災無線で避難指示が出ました。
避難に当たっては勉強会で作っていた非常持出リストに従い、今すぐ使うものや家に帰れないことを想定したものを20-30分かけて準備し、車に乗るだけのせました。
家に備蓄庫があり、安いときに食品などを買っておき、また水用の空のタンクも用意してありました。
それから避難生活が始まりました。
小名浜市、茨城県古河市で8月まで生活し、9月から会社が再開するということで、私は南相馬市原町区でアパートを探して単身赴任、家族は会津で生活を開始しました。
南相馬市は原発事故で一時は大半が避難指示・屋内退避の区域に入り、市が3つの状況に分断されたこともあり、住民の意見の統一が困難を極め、市長も大変だったと思います。

――震災後、お仕事はどのように再開されたのでしょうか。
大戸:勤務先の食材卸 伊藤商店は、震災前の半分程度の9名の従業員で9月から業務を再開しました。
商圏が立入禁止区域とほぼ同じだったため、非常に厳しい状況からのスタートでした。
一時は同業他社に大きな部分を取られましたが、お客様のご支援もあり、その後は震災前の8割程度まで戻すことが出来ました。よく戻ってきてくれたという有難い声をお客様からは頂きました。
食品関連の会社としては、災害時はすぐに食べられるサラダなどの食材を地域住民の方に提供して一番活躍できる場面ではありましたが、避難指示が出ていたために如何せんそれが出来ない歯痒さが一番辛かったですし、未だにその思いは続いています。
転々とする避難生活、改めて「食」の大切さを実感

自身の経験を通じ、災害の備えとして自助・共助の重要性を訴え続ける

――その後、講演活動などを再開されたのですね。
大戸:地域外の社会福祉協議会や顧客から依頼が来るようになり、介護食アドバイザーの資格も取って防災の講演活動などを再開しました。
地域の方への介護食の勉強会を行うことなども継続して行ない、さらに良いものを食べないと良い便も出ないということで、排泄ケアの関連でも取り組みをさせて頂きました。
ただ、勉強会などを行なっても、本当に大変な状況にある方はそこには来られないわけで、どうしたらそのような方への案内ができるのかと言う問題があります。
また、嚥下障害の方用の防災食なども用意されていれば良いのですが、行政側では十分には揃えられてはいないので、自分の身は自分で守るために、自分で用意することを訴えています。

――防災食の備蓄や活用の新たなアイデアも模索されているとお伺いしました。
大戸:行政側が災害用に備蓄していた防災食で賞味期限が短くなったものをフードバンクなどに提供していくなどの仕組みづくりができれば、無駄なく活用できると考えられると思います。
ただ行政の場合にはどの部署で行うのか等の問題があるので、最終的には自助・共助がやはり重要になってきます。
共助の例として、地域の組などの単位でも防災食を備蓄できれば一番良いと考えます。
私も近所の15軒で組織された組で活動を行っており、回覧板の代わりにグループLINEで情報を提供するようなことも行っています。

備えあれば憂いなし、簡単に作れて美味しい防災食の備蓄は大切

――今、特に訴えられていることはどのようなことでしょうか。
大戸:コロナ禍の現在、施設や病院の給食室で調理スタッフに陽性患者が出た場合には食事の提供が出来なくなるので、尾西食品さんのアルファ化米などの防災食を給食室以外の場所で分散備蓄しておくことをお勧めしています。
スプーンが入っていて、誰でもお湯を入れるだけの手軽さで作れ、病棟や各フロアで手に入るお湯で作れることが大きなメリットだと考えています。
そのような場合には給食室の食品庫には入れなくなるので、防災食は各フロアの倉庫なので保管して下さい。
5年保管できるので万一使用しなくとも、通常の食事で美味しく召し上がって頂くことができるので無駄もありません。
美味しいことは一番重要で、食物アレルギーや宗教上の問題がなくて万人に提供ができ、さらに簡単に作れて美味しい防災食は非常に大切です。

大戸貴弘氏(プロフィール)
株式会社 伊藤商店 特販課 課長
介護食アドバイザー
東日本大震災で地震、津波、原発の事故により大きな被害を受けた福島県南相馬市で被災。
震災前から「食」のエキスパートとして市民の防災意識の向上に取り組む。


出典元:尾西食品株式会社
尾西食品 防災コラム:https://www.onisifoods.co.jp/column/
尾西食品株式会社: https://www.onisifoods.co.jp/
オンラインショップ: https://www.kameda-netshop.jp/SHOP/171151/list.html

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