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たかが一人、されど一人

老害 

2021年02月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 長野の従妹から手紙が来て、義姉が大分弱っているとのこと。長兄の妻だが独り身になって久しい。コロナ禍で外出の機会が激減して足腰に来たらしい。実家が志賀高原の方で遠いこともあり、兄弟が全員亡くなっていることが重なり、最近は姪なんかもめったに来なくなっていたらしい。昨年暮れにたまたま訪れた近所の人が自宅で倒れていたところを発見してくれたとのこと。コロナ禍は思わぬところに影響している。年末の入院は10日ほどで退院できたそうだが、電話をすると声が如何にも頼りない。連絡をくれた従妹も未だ見舞いにはいけてないが、電話だけはしてあげてね、とのことだった。オリンピック騒動で「老害」が言われている。若い人から見れば、我々は生きている事自体が社会悪なんだろうか?高校時代は長野市の普通高校は2校だけで、男子校と女子校に分かれていた。それでも進学した男子校には440人ほどの同期生中に女子が居るにはいたが、確か10人に満たず、3年生なるまで女子と同級になったことはなかった。家庭でも男兄弟だけだったし、結婚後も家内が、男女間には差別はいけないだろうが区別は当然すべき、との意識が強かったこともあり、今でもその傾向に引きずられているのも確かだ。いつも街なかを徘徊して思うのは女性の会話のけたたましさ。女性3人揃えば姦しいとはよく言ったものだと感心している。社会の役立たずだから公職に付く心配もないので安心ではあるが、もし公職にあれば森氏のように長年務めることは先ず不可能で、1ヶ月も持たずに首なるだろう。日本語には[未熟とか若輩]なる単語はあるが、若害は無い。しかし考えれば、世の中に老人が多いと言ってもたかが知れている。100歳近くなって活躍していた日野原医師とか中曽根元首相なんかが「老害」概念を生み出したが、社会に害を及ぼしている人間は圧倒的に若い人たちの筈だ。今更威張るつもりもないが、マスコミには、年齢差で差別的な報道をしないよう、注意を促したい。その意味でアメリカのメディアは、人種間や男女間と同じように、年齢的なことも差別しないことを弁えているように思う。

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