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たかが一人、されど一人

楽しい思い出 

2020年04月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

コロナばかりでは読む方も面白くないと思うので、少し趣を変えまして女性のことについて少しばかり述べさせて頂きたい。と言いますのは今日は我が結婚記念日の筈。女房が生きていれば確認できるのだが、婚礼が1969年の4月19日だったと思う。長野も桜が満開で、前日まで快晴だったが、当日は気温が下がり、婚礼が終わる頃には霙が雪に変わっていったことを覚えている。東京から来てもらった大学の友人と、大学時代や会社に出る時保証人になって頂いた方の奥さんと4人で汽車に乗って上野まで一緒に帰ってきた。今風に考えると随分変わった新婚旅行だ。自宅で1泊してから翌日は確か帝国劇場に芝居を観に行った、演目は市川染五郎(現二代目 松本白鸚)と草笛光子主演の「ラマンチャの男」。その夜は会社の目の前にあったホテル・ニュー・ジャパンに宿泊、翌日は今度は亭主の顔を立ててもらい、何か映画を観てホテルオークラに宿泊して新婚旅行に代えた記憶がある。男兄弟5人で育ったせいか、昔から女性に強い憧れを持っていたので、惚れっぽい質だと思う。学生時代から女性との付き合いは多かったし、社会に出てからも、酒とバラの日々ではないが、金も無いのに夜な夜な女性のいる場所に出入りをして借金を重ねた。結婚した時には飲み屋の借金だけでほぼ年収(多分200万円くらい?)あったような気がする。借金の先は飲み屋以外では勤務先の会社が最大手、思えば善き時代だ。結婚後1年半くらいで最初の子が誕生したが、それまで給料を殆ど家に入れなかったと思う。「どうしようもなくなったら言えばいいが、取り敢えずなんとかしておけ。」で無責任そのもの。女房もよく我慢したものだ。彼女が実家にどう言っていたかは知らぬが、一度義理の父から呼び出しを受けたことがある。お金のことを言われた覚えはないが、今にして思うと、生活態度と妻への態度についてソフトに注意を促したのだろうが、こちらはまともに受け止められなかったようだ。流石に子ができるとこちらの考えも少し変わりはじめた。初めて文句を言われたのを覚えている。「子供がいるのだから、家でタバコは辞めて。」この一言で、以来タバコをやめた。そして自費で飲み歩くのも徐々に辞めるようになっていった。会社の交際費がある程度使えるようになったこともある。交際費を使うためには取引先の人と仲良くする必要がある。中にはこちらと似たような女性好きの人もいて、互いの交際費を使いながら芳町の待合に通ったことを懐かしく思い出している。今や、女性はおろか男性でも友人は少なくなった。いてもご時世だから合うことも敵わない。仏壇に飾られた女房の写真の前で古き善き時代を偲ぶばかりだ。

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