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たかが一人、されど一人

信州人 

2019年11月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

生まれたのは奈良県、以後熊本県を経て長野県に来たのは五歳の時、従って80年近い人生で長野県に住んだのは僅か13年ほど、それでも故郷は長野で信州人の端くれと思っている。他県は知らぬが長野県には県歌があり、信州人であれば知らぬ人はいないと思う。現在は知らぬが、昔は県下の小中学校では「信濃の国」なる唱歌を入学と同時に教え、何かの行事に際して必ず歌わせていた。これが実にユニークで、何度も歌っているうちに脳に刷り込まれたことは「やせ我慢」の一言。兎も角、「信濃の国」は1900年(明治33年)に成立しているから120年の伝統ある県歌だ。作詞は旧松本藩士で師範学校の教師であった浅井洌氏、wiki(下記)をご参照願いたい。歌詞は6番まであり、信州の地誌と歴史を織り込んだ長いものである。1番の歌詞が「やせ我慢」の全てを物語る。即ち「信濃の国は十州に 境連ぬる国にして   聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや通し   松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃の地   海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき」と高らかに歌い上げている。しかし実際の信州は山が高くて谷が深く、冬も長く、広い割に耕地面積は少ないので、石高即ち米の収穫量も少なかったはずだ。信濃には幕末何人かの大名が存在したが、その殆どが1万石2万石の少大名。唯一の例外が松代真田藩で10万石。結論として作詞家浅井氏は述べる。「海も無いが足りないものなんか無いのだよ。」即ち贅沢言ってはいけません、である。信州人の全てがやせ我慢哲学を刷り込まれているとは思はないが、長野県は政治的に社会主義政党色の強い県でもあった。その影響か、テレビに出てくる信州人と知ると、似た哲学を刷り込まれていると勝手に想像して応援したくなってしまう。最近密かに応援していたのが、警察や公安関係に強いジャーナリストの青木理氏と経済ジャーナリストの萩原博子氏、二人共小諸市出身で青木氏は野沢北高、荻原氏は上田染谷高の出身。母校出身のジャーナリストを上げられないのが残念だが、最近また一人この人も信州人かと思う人を発見した。桜を見る会追求で一躍名を挙げた共産党参議院議員の田村智子氏、この人も小諸市出身で青木氏と同じ野沢北高出身。若いときから学生運動で鍛えた筋金入りらしい。お三方とも安倍政権を良しとしないところが共通しているので益々の活躍を期待している。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E6%BF%83%E3%81%AE%E5%9B%BD

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