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たかが一人、されど一人

次の時代 

2017年06月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

このブログは参議院で共謀罪法案が審議されている最中に書いている。今日委員会での強行採決があり、政府の予定通り今週中に法案が上がるかは分からない。多分上がることになるのだろうが、国会が多数決原理で運営されている以上それはそれで仕方がないのだろう。問題はむしろその後が問題で、国民が安倍1強をどこまで許すかに掛かってくる。野党の勢いが増して近い将来に与野党の逆転が起きるなら、トランプ氏のように、その時点で不都合な法案は変更すればいい。考えてみると民主主義とは手続きが面倒なものだ。現時点での「野党腰抜け、不甲斐ない」論に悪乗りたくない。戦後70年近く、現憲法の下で社会構造は大きく変化したものの、激変に伴う大きな社会的混乱を生ずることなく来たとも言える。それが安倍内閣になった途端に様子が一変したような感じだ。先ず憲法解釈を変える、これに無言の抵抗を示されている天皇陛下の意向を無視して、国体の基本になっている象徴天皇制の将来について真剣な検討をすることなく棚上げ同然にしてしまう。天皇を無視して権力の横暴を極めた平氏や源氏の武士に連なる明治維新前の武将の如きか、それ以上の振る舞いに見えて仕方ない。政権に就いた昔の武将たちも、権力をフルに発揮して下々から見たら無法な行為は多々あったことだろう。しかし彼等には「天下を治める」責任感があったことだけは間違いない。誰一人自分たちの仲間だけが良ければ民がどうなろうと構わない、なんて思った者は一人もいなかったのではないか。更に歴史に対する責任が感じられる。死んでしまえばそれで終わり、後は野となれ山となれ。と考えていた者も一人もいない筈。秀吉が臨終間際に側近に秀頼のことを「くれぐれも頼む」と言ったのは見苦しいと言う向きもあるが、普通の人間であれば死後の世界を思うのは当然だろう。安倍内閣は幸いそう長く持たないとは思うが、いつも安倍総理について思うのは「次の世をどのように考えているのか?」である。これを言うと差別発言だといつも攻撃されるが敢えて言いたい。「彼の歴史に対する無責任さは、彼に子供がいないことに大きな原因がある。」

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