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たかが一人、されど一人

スピーチ 

2016年05月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

アメリカのオバマ大統領の広島スピーチに聞いて上手いことを言うなと感心した。内容的には毀誉褒貶あるのだろうが、「言ってほしいことが盛り込まれていない」との批判はあっても「余計なことを言うな」と突っ込まれないように構成されている。演説の間の取り方は天下一品だろう。冒頭から「昨年私はアメリカ議会で日本国総理大臣としてスピーチをしました。」と比較して論評しては申し訳ない。17分あったそうだが、印象に残ったのは「やがて被爆体験を語る者がいなくなるだろう」の一言だけである。大東亜戦争はこの年に終わった訳であるが、それが始まったのは1941年、76年前のこと。その前触れであった満州事変は1931年から始まっているから、この開戦体験を語ることが出来る人は殆ど生存していないだろう。ましてやその遠因となっている日清戦争のことなどについては、聞きたくとも実体験で語る人は一人もいないだろう。オバマ氏のことを持ち上げたくはないが、歴史の重要さに言及したことだけは褒めなくてはならぬだろう。彼も人の子、新任当時核について少々格好いいことを言ってしまったので、内心忸怩たる思いがあるに違いない。後世に於いて何と言われるかについて、かなり気にしていることが伺える。引き換えて、総理のスピーチではない、総理のふるまい全般である。彼の辞書には「恥ずかしい」と言う言葉は見つからないようだ。両者ともスピーチの原稿は、最初取り巻きが書くのだろう。官邸スタッフのご粗末さが情けなると同時に、読み上げるご本人の志の低さ、ご粗末さが舛添都知事と同じレベルであることには改めて驚きを禁じ得なかった。

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